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 そんな状態が数日続いたある日。
 気温がぐっと低くなり、風の強い日だった。
 その日も青年の歌を聴こうと灯火が外に出ると、いつものベンチで彼は歌っていた。
 けれど冷たい風のせいか人通りも少なく、立ち止まる人もいない。
 一曲だけ歌い終わった後、演奏をやめた青年はかじかんだ手を労わるように息を吹きかけていた。
 寒さでかじかむ指では、ギターを弾くのもつらいだろう。
 今日はこれ以上演奏しないのだろうか。
 歌を聴くために立っていることも寒くて、今日はあきらめて部屋に戻ろうとした時。
「ねぇ、今日は聴いていってくれないの?」
 不意に聞こえた声は静かな夜の空気の中ではっきりと灯火の耳に届いた。まさかと思って振り返ると、こちらを見ている青年と目が合った。
 今のは自分に向けられた問いだろうか。それに、いつからここで聴いていることに気付いていたのだろう。
 彼に気付いてもらえていたことは嬉しいのに人と話すことは少し怖くて何も言えずにいると、ベンチから立ち上がった青年はゆっくりと灯火の家の方へ近づいてきた。そして灯火のいるベランダのまえに、ちょうどとばかりに伸びている街路樹に寄りかかると、まっすぐにこちらを見て言った。
「いつもそこから聴いててくれてたよね。いつか話してみたいって思ってたんだ」
「え………?」
 青年の言葉に、灯火は思わず息を呑んだ。いつも見つめていた青年が、自分と同じ気持ちでいてくれた? 心臓が高鳴る。
 青年の肩まで伸びた少し長めの黒髪が風に揺れている。優しい光を宿した瞳から目が離せない。
「聞いてくれた中で何か気に入った曲があれば、リクエストしてくれてもいいよ」
 そこで一度言葉を区切って、青年は首をかしげる。
「俺の曲、聴きたい?」
「………聴きたい、です」
 青年の優しい態度に、自然と言葉が口から出てきた。答えを返すと、青年は満足そうに笑ってピックを持ち直す。
「じゃ、オレのお気に入りを弾いてあげる」
 青年が静かに歌いだしたのは、何度か聞いたことのある優しいメロディーの歌。いつもよりはっきりと聴こえるその歌声が嬉しくて、ふっと頬が緩む。
 目を閉じて、音の世界にだけ浸かる。
 それは幸せな未来を想像しているときと似ていたけれど、今聴こえているものは現実のもの。想像じゃない、実際に起きていること。
 青年が歌い終えるとそっと目を開けて、そこでようやく気付かないうちに涙を流していたことに気付く。
 そんな灯火を見上げて、青年はまたにっこりと笑った。
「また明日来るよ。おやすみ」
 軽く手を振って、青年は灯火の家から離れていく。その姿が見えなくなるまで見送って、お礼すら言えなかったことに気付いた。
 でも、彼はまた明日も来てくれると言った。きっと誰も聞く人がいなくても、自分だけのために来てくれる。それがたとえようもなく嬉しくて、その嬉しさが逃げていかないように灯火は両腕でぎゅっと自分を抱きしめた。








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