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 丘の北の麓にある、大きな森の入口。
「葉風さーん! 葉風のおじいさーん!」
 ふわふわ空中に漂いながら、そよ風は森の方へ声をかける。
「あれ、留守なのかなー……葉風さーん?」
 もう一度そよ風が呼ぶと、森の奥の風が変わった。
 ざわざわと森の木が揺れ、風が近付いてくる。やがて、白い髭を顎に生やしたおじいさんが現れた。
「なんじゃ、そよ風か。遊びに来たのか?」
「うん、それもあるけど、お知らせがあるの! さっきね、丘に春一番さんが来たんだよ」
 そよ風が元気よく報告すると、葉風は顎の髭を撫でて、破顔した。
「そうかそうか、もうそんな時期か。春が来るんじゃのう………」
「きっとあったかくなるよね。森にも丘にもお花がいっぱい咲くよ!」
「そうじゃな」
 うんうんと何度も頷き、ふと葉風が目を細める。
「なんじゃ、春一番に会ったわりには元気がないのう」
 独り言のような呟きに、そよ風は思わず目を見開いた。
「どうしてわかったの?」
「ほっほっ、年寄りを甘く見てはいかんよ」
 葉風はまだこの森が小さかった頃も知っている。その時からずっとここにいて、森の成長を見守り、森の中を駆けてきた。
(やっぱり、葉風さんにはかなわないや……)
 心の中で呟いて苦笑し、けれど指摘されたことでどこかほっとした気持ちになったのが不思議だった。
 そよ風は少しためらうように視線を泳がせ、思い切って葉風と目を合わせる。
「あのね、風で人を飛ばすことは出来る?」
「風で人を? なんでまたそんなことを……」
 不思議そうな顔をする葉風に、そよ風は曖昧な笑みを浮かべる。翼人に会ったなどと言って、心配をかけたり騒ぎにさせるのは避けたいのだ。
「ちょっと思っただけだよ。この前、町の男の子が空を飛びたいって言ってたから……」
 咄嗟に嘘をつくと、葉風は数回目を瞬き、考え込むように髭を撫でる。
「そうじゃのう……吹き飛ばすだけならまだしも、空を飛ばすには嵐か台風か、あるいは竜巻か……それくらいの力は必要じゃなぁ……」
「あらし……嵐?」
 そよ風が葉風の言葉を繰り返す。
 どこかで聞いた言葉だ。それも、ごく最近に。
 うーんと首を傾げ、ふとそよ風の頭に声が響いた。

『そういえば、東の森に嵐が来たそうよ―――――』

 はっとそよ風が顔を上げる。
「嵐! 嵐さんだ!」
 思わずそよ風が叫ぶと、葉風が驚いたように目を見開く。
「そよ風よ、どうしたんじゃ?」
「嵐さんだよ! そうか、嵐さんに頼んでみよう! 葉風さん、ありがとう!」
 葉風の問いにろくな答えを返さないまま、そよ風が駆け出す。
「行ってしまったか……やれやれ、子供は元気じゃのう」
 苦笑混じりの笑みを浮かべ、葉風はひらりと身を翻して、木々の葉を揺らしながら森の奥へ帰って行った。







嵐……暴風。

                     風の辞典 様より



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