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一本木の丘から東へ向かうと、葉風のいる北の森よりも小さな森があった。
 そよ風はするりと木々の間に入り込み、風の姿を捜す。
「春一番さんは東の森って言ってたけど、この森のどこにいるんだろう……」
 小さいと言っても、森は広い。
 がむしゃらに捜しても見つからないだろう。
 ふっと息を吐き、そよ風が立ち止まる。
 風には当然流れがある。自分の風を送って、その風の流れを読めばいい。
「あまり得意じゃないけど、やってみよう」
 そよ風はすっと目を閉じて、両手を合わせた。
 ふわりと長い髪をなびかせながら、そよそよと風を送る。送った風に神経を集中し……ふと、自分の風に別の風が当たった。
「答えた!」
 ぱっと表情を輝かせ、そよ風は駆け出した。
 木々の間を縫って小枝をかわし――夢中になっていたせいで、横から飛び出してきた影を避けきれなかった。
 ごちんとぶつかる。
「うひゃ!」
「わぁ!?」
 二つの声が重なって、互いにひっくり返る。
 人型をしている風にぶつかれるのは同じ仲間である風だけ。確かに風がいた。
「あいたたた……」
 ぶつけたおでこをさすりながらそよ風が顔を上げると、そよ風より小さな男の子が頭を抱えてうずくまっていた。
「ごめんね、大丈夫?」
「うん。僕も気付かなかったから……」
 少し涙の浮かんだ目を擦り、男の子はそよ風を見つめる。
「おねえちゃんが風を送ったの?」
「そうだよ。あなたが嵐さん?」
「ううん、僕はこの森の葉風だよ、まだ小さいけど。……おねえちゃんは嵐を捜してるの?」
「うん」
 そよ風が頷くと、男の子はある方角を指差した。
「この前来た嵐なら、あっちの洞窟にいるよ。でもあの人、なんだか怖いの」
 少し身をすくませる男の子に、そよ風はぽんぽんと男の子の頭を叩き、笑う。
「ありがとう。私、行くね」
「あ…あの、おねえちゃん!」
 呼び止める声に、そよ風が振り返る。
「あのね…また、来てくれる?」
 この葉風はまだ小さく、生まれたばかりなのだろう。この森は彼にとっては大きい。一人で心細いのかも知れない。
 それを感じ取って、そよ風はにっこりと笑みを浮かべた。
「うん、また来るよ。今度、一緒に遊ぼうね」
 答えると、男の子の表情が輝いた。
「ありがとう! おねえちゃん、またね!」
 大きく手を振る男の子に手を振りかえし、そよ風は教えてもらった方向へ飛んでいく。
 少し行くと、森に沿った岩壁に、ぽっかりと穴が空いていた。恐る恐る、中を覗く。
「こんにちはー……誰かいますかー……?」
 遠慮がちに声をかけるが、答えはない。
 そろりそろりとそよ風が中へ入ると、洞窟の奥で一人の青年が寝ていた。
 人の姿をしていても、風の仲間ならば一目でわかる。この青年は、風だ。
 それを確かめて、そよ風はすとんと青年の近くに降り立った。
「もしもーし、起きてくださーい」
 声をかけながら軽く揺すると、もぞりと青年が寝返りを打った。そよ風に背を向ける。
「うるさい。俺はまだ眠いんだ」
 あっちへ行けと手で追い払われて、そよ風はむっと顔をしかめた。
 少し考え、一度洞窟の外に出ると、風を起こして落ち葉を集めた。その落ち葉を風で洞窟の中に運び―――どさりと青年の顔の上に落とした。
 一瞬沈黙した青年が、次の瞬間にはぶはっと息を吐いて飛び起きた。
「何をするんだお前は!」
「だって、起きてくれないから」
 ぶすっとそよ風が頬をふくらませると、青年はがりがりと頭を掻いて溜め息をつく。
「もっとまともな起こし方をしてくれないか」
「だって、起きてくれないから」
「それはさっき聞いた」
 面倒そうにしながらも答えてくれる青年に、そよ風は青年の顔を覗き込む。
「私はそよ風だよ。あなたが嵐さん?」
「あぁ、そうだ。嵐の本場は夏なんだよ。だから今は眠いんだ」
「でも春にも嵐は起こるよ?」
「それは春嵐しゅんらんの仕事だ。あいつらと一緒にしないでくれ。わかったなら寝かせろ。何度も言うが、俺は眠い」
 そう言って横になろうとした嵐をそよ風は慌てて引き留める。
「待って! あのね、嵐さんにお願いがあるの」
 嵐がいかにも嫌そうに顔をしかめる。
「厄介ごとはよしてくれ。ただでさえ嵐は嫌われ者なんだ」
「あのね、片方の羽が折れちゃった翼人さんがいてね、空に帰れなくて困ってるの。嵐さんの力なら、翼人さんを飛ばせてあげられるかもしれない」
 真剣にそよ風が訴えるが、それに対して嵐は欠伸をしながら頭を掻いている。
「ねぇお願い、助けてあげて!」
「断る」
 きっぱりとした否定だった。
 あまりの潔さにそよ風が言葉を失うと、嵐は眠そうに目を擦った。
「今は時期じゃないからろくな力も出ない。他をあたってくれ。話は終わりだ、俺は寝る」
 そう言うや否や、ごろんと体を横たえて背を向けてしまう。
 どうしてわかってくれないのだ。そこまで言わなくてもいいのに。
 じわりとそよ風の瞳が潤んだ。
「だって…翼人さん、帰りたい、って、言ってて……」
 声の調子が変わったのに気が付いたのか、嵐がそよ風の方を振り返る。そして、ぎょっと目を見開いた。
「おい……」
「家族、が、待っ、てるんだよ……すごく、すごく、会いたいんだよ……」
「俺は眠いと言っているんだ。睡眠の邪魔だから、泣くのはよしてくれないか」
 困惑気味の嵐の言葉に答えようにも、一度流れ出した涙は止まらない。
 口が勝手に言葉を紡いでいく。
「…会いたい、人に、会えないのは、つらいよ……会えるかもしれないのに…そこにいる、のが、わかってるのに…会えないのは、寂しいよ……だって、せっかく…っく、うぇっく……」
「あー、わかった。わかった。手伝えばいいんだろう」
 根負けしたように項垂れながらの言葉に驚いて、涙が引っ込む。
 ぱちくりとそよ風が目を瞬くと、嵐はむくりと体を起こした。
「手伝えば、ここから出ていってくれるんだろう。その代わり、そのあとは俺に構うんじゃ―――――」
「ホントに!?」
 嵐の言葉を遮ってそよ風が叫ぶ。
「ホントに、手伝ってくれるの!?」
「あ、あぁ、だからそのあとは――――」
「ありがとう、嵐さん! ほら、早く行こう!」
「おまっ、話を聞いて―――…って」
 興奮のあまり、そよ風は嵐の抗議を聞かないまま腕を引っ張って洞窟を飛び出した。
 二つの風が、森の中を駆けていく。
「あのね、翼人さんは丘にいるの! 一本木のある小さい丘だよ。私が住んでるところ!」
「そんなことは聞いてないが」
「それでね! 今日、春一番さんが来てね、もうすぐ温かくなるよって! お花も咲くんだよ!」
「……………」
 すっかりはしゃいで舞い上がっているそよ風に、嵐は説得を諦めたらしい。腕を引かれるがまま空を駆けり、森を抜けて丘へ向かう。








  春嵐…春の嵐。しゅんらん。春疾風。                 風の辞典 様より



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